墨染めの桜

4/7(日)に京都の墨染寺を訪れました。町中にひっそり佇むこぢんまりとしたお寺で、京阪電車墨染駅から歩いてすぐの所にあります。

住宅に挟まれた狭いところに門があります。門前左には南無妙法蓮華経と書いてある石柱があり、門前右には深草山墨染寺と書いてある石柱があります。門の奥の桜の木が門の上に覗いています。

墨染寺の門

正面奥に本堂があり、手前両脇に石灯籠と桜の木があります。

墨染寺の境内

 

桜寺とも呼ばれている墨染寺の境内には、この辺りの地名「墨染」の由来となった墨染桜という品種の桜が植えられています。

木に墨書されたような扁額です。右から左への横書きで桜寺と書いてあります。

桜寺の扁額

この墨染桜には次のような伝説があります。

平安時代、時の太政大臣であった藤原基経の死を悼んで、上野峯雄(かんつけのみねお)が

深草

野辺の桜し

心あらば

今年ばかりは

墨染に咲け

と詠んだところ、この地の桜が喪に服するかのように薄墨色に咲いたそうです。深草(ふかくさ)は山城国の地名で、現在も京都市伏見区にその地名が残っています。ちなみに墨染寺の山号深草山は「じんそうざん」と音読みです。

境内から振り返って石灯籠と桜の木を撮った写真です。

境内の桜

それから後、西行法師がこの地の桜の枝を杖にして旅をし、上総国までやってきました。そしてそこを去るときに西行法師はその桜の枝を地面に挿して、

深草

野辺の桜木

心あらば

亦この里に

すみぞめに咲け

と詠んだら、杖が芽吹いて墨染桜になったそうです。その桜の子孫が今も千葉県東金市にあるようです。

桜の木をアップで写した写真です。

桜の木

さて、その西行法師ですが

願わくは

花の下にて

春死なむ

その如月の

望月のころ

という短歌を残して、実際に如月の望月の頃(二月十六日)にこの世を去りました。暦が異なるので現在の2月16日とは違って、桜の咲く時期だったようです。

真下から見上げるように撮った桜の写真です。

下から見上げた桜

実は今年の2月に祖母が亡くなり、偶然にもお葬式が2月15日でした。だから今年は墨染の桜を見たいなと思ったのです。

墨染寺は人が少なくて静かに桜を見ることができるので、来年もまた行こうと思いました。